永く止まっていました「彷徨えるコンセプト・フォトの旅」何とか再開します。写真を巡る状況もアニメ−ション・映画の製作環境も大きく変わりつつあり、ドタドタと動き回るうちにブログの再開が出来なくなってしまいました:写真も新たに掲載します。これからも宜しく・・・

*朽ち果てた兵器の中で:POLAND

harugaminatu092010-04-12

:本編撮影休日、ワルシャワ郊外の旧庭園に出かけた。半日歩き回って帰りはバスで帰ろうと幾重にも重なった路線図を眺め、とりあえず市中心部に向かう路線を見つけてそれに乗った。大きな建物も無い静かな郊外の住宅地をぼっ〜と眺めていると、道脇に小さな戦車が置いてあるのが目に入り、気になって次のバス停で降り歩いて戻ってみた。そこは木々に囲まれたベンチの在る小さな公園のようで、戦車が児童公園の遊戯施設のように置いてあった。その先にはバスからでは気が付かなかった長い塀に囲まれた施設があり、入り口には誰も居らず、料金表などの掲示も無かったのでそのまま入ると数十台の戦車・装甲車がズラッと並んでいた。さらに奥の広大な敷地には社会主義体制下・旧ポーランド軍ソビエト製戦闘機・自走砲・ヘリなどが、囲いも無く並べられ、さらに奥に進むと人目を避けるようにフェンスに囲まれた小高い場所に、まるで車のスクラップ置き場のごとくあらゆる種類(装甲車・弾頭・水陸艇・・・)の老兵が互いの錆を見つめあいながら佇んでいた。入り口横から続く防空壕風建物は『カティンの森』から掘り出されたポーランド兵士達の遺品が展示された記念館で、その土にまみれた軍服やちぎれた写真などと、外に放置された錆び付いた兵器たちが記憶の中で重なっていた。
*おりしも昨日のニュースは『カティンの森事件』の慰霊式典に向かったポーランド大統領・兵士遺族らの乗った専用機が墜落し全員死亡という報道を流していた・・・・

*風吹きすさぶ断崖のなかで・・IRELAND

ARAN

:行くまではアラン島と云う名の島が有るのだと思い込んでいたが、イニシュモア・イニシュマーン・イニシィア島などからなる「アラン諸島」とよぶことをはじめて知った。本島から小型機で30分程で行けるイニシュモア島にドン・エンガス(Du'n Aonghasa)砦が在る。大西洋に突き出た断崖に在るその古代遺跡は軍事要塞とも儀式のための聖地とも言われているが、何もさえぎるものの無い吹きっさらしのなか何百年も大西洋の彼方に沈む夕日を見つめていたのだろう。切り立った断崖の淵は、日本では必ず出てくる注意書きカンバン・柵などといったものは一切無く飛び降りたければどうぞ、という感じで在るがままの風景をさらしていた。飛び降りる気など無くても絶えず背後から吹く強風にあおられ、いつ海に飛ばされるかとこわごわ断崖をのぞきこんでいると風に乗って叫び声が聞こえてきた。しかしそれは聞き違いでよく聞くと大きな歌声だった。少し離れた断崖の淵でカップルが愉しそうに足をプラプラさせながら歌っていたのだ。足先90メートル下は荒波逆巻く岩場、なのに全く意に介せず歌いつづける二人は、まるでどこかの公園のベンチで腰掛けて楽しんでいるようだった。呆然と見ていた私の背中では、荒れた海へ誘い込もうとする強い北風が吹き荒れていた・・・

*写真展 『凛として』Landscape of IRELAND 開催します
映画[GRM/ガルム]コンセプトフォト作品展
 2010 4/26(月)〜5/7(金)10:00〜19:00土・日・祝日休館
:KODAK PHOTO SALON (秋葉原)Phone :03-4455-3274
http://www.kodak.co.jp

*突然のレスキューヘリ!IRELAND

Aran IRELAND

アイルランド本島の西に浮かぶ島アラン諸島に出かけた。早朝小さな飛行場からこれまた小さな飛行機に乗って出かけた小さな島は、子供の頃からうっすらと記憶していた風景・(かって親に連れられて観たデビット・リーン監督/『ライアンの娘』のシーン)そのままに広がっていた。その感動醒めぬままに暮れなずむアラン島を後に、我々はフェリーに乗り本島を目指した。吹きすさぶ風の中デッキに出て日没の島を眺めていると突然上空にレスキューヘリが現れた。そのままどこかへ飛び去るのかと見ていると、フェリーの真上でホバリングをはじめ機体からスルスルとレスキュー隊員が降りてきた。これは我々の知らぬ間に船内に急病人でも出て、緊急搬送を船長が要請したのだろうと話し合っていたら、デッキに降り立った隊員はニコニコしながら、近くに立ってそれを眺めていた観光客をあっという間にワイヤーでヘリに吊り上げていった。何事か全く理解できない我々をよそに、他の客は皆手を叩きながら大喜び。吊り上げられた女性客も頭上のヘリからニコニコしながら船に向かって手を振っていた。ヘリは一旦どこかへ去って行くような飛び方をしたかと思うと、上空をグルッと回って再びフェリーの直ぐ上に戻り隊員と共に女性客がデッキに降り立った。船上は大歓声・・・何事かと思えばこれは定期的に行われるレスキューヘリの訓練で、これに居合わせた観光客はまったくラッキーなときにフェリーに乗り合わせたことになるらしい。なるほど周りは北大西洋の荒れ狂う海。本番でなくて良かったと冷たい風に吹かれながらつくづく思った。でもこんな愉しい訓練、日本でもやればいいのに・・・

*なんでコンセプト/Pなの?  

IRELAND

:実写映画の劇中スチール写真を撮ってから3作目に劇場版アニメの仕事の話が来た。当時としては大規模な作品で、時間もお金も掛かったものだった。その前作から廃墟・裏路地・ゴミの山を求めてウロウロしていたが、この時はその何倍かの時間と体力を使う撮影になってしまった。早朝4時・5時から陽が高くなるまで走り回り、人や車の多い日中を避けて夕方陽が落ちる直前から再び再開する日が何ヶ月か続いた。ある日、監督はじめ美術・設定製作スタッフなど共に東京湾周辺を早朝から日没までロケハンすることになった。日頃夜型生活に馴染んでいるアニメ製作人には、丸一日陽の光を浴びる事に疲れたようで、お台場から東京タワーの彼方に陽が沈むのを見て、永かった一日がやっと終わったとホッとした表情だった。その後は決まりの冷たいビールでお疲れ様の乾杯。ゴクゴクと何杯飲んでいたときプロデューサー氏がタイトル・クレジットの話を持ち出し写真はやはり『スチール」と言うことになるのかなと聞いてきた。実写映画ではそのままスチールカメラだがアニメ映画にスチールって一体どういう意味になるのだろうとはじめて疑問に思った。写真そのものが使われるわけでもなくあくまで美術・状況設定の資料に使うだけの物なので、第三者に対する説明がとても難しい。そのとき数年前に参加したSYD・MEAD(シド ミード)氏の『OBLAGON』(講談社刊)・が頭をよぎった。スタートレックブレードランナー、「2010年」などの映画や、多くのインダストリアルデザイン・SFアートを描いているミード氏の作品はビジュアル・コンセプト、コンセプトアートと位置づけられていて、その製作姿勢をLAのアトリエで何度か見て感動したものだった。そして今やろうとしていることはコンセプト作りの為の写真なんだと確信し、クレジットに[コンセプト・フォト]と入れることにした。漠然とし資料写真の撮影でなく、毅然とした意思と方向性を提示する写真撮影を絶えず目指そうと、冷えたビールジョッキを見つめながら其のとき思った。現実は犬のごとく嗅ぎ回りながらウロウロしているのだが・・・

*闇に響くシャッターの・・・

Mong Kohck/HONG KONG

:永く写真の仕事をしてきても、カメラに関しての特別な思い入れなどは無かった。それぞれの特性さえ理解すれば国産メーカー製なら値段の差に関わらず問題なく使えるものと信じていた。広告写真が主体のスタジオ撮影ばかりしている頃は、同じカメラ・同じライトで壊れでもしない限り使い続けていた。コンセプトフォトに参加してしばらくは日頃使うことも無かった手持ちのカメラで撮っていたが、作品が変わり出かける場所の環境が様々になってから「今回はカメラごと変えてみよう!」などと思うようになった。それまでカメラと言えば,スタジオ仕様の6×7・4×5サイズが常用で、時々風景撮影などに・8×10(エイトバイテン)などと言う1枚のフィルムが週刊誌大にサイズのカメラなど持ち出していたが、なぜか35mm一眼など殆ど使うことも無く、手元には古いニコンが有るだけだった。香港へ頻繁に出るようになったとき、船上で波を被ったカメラ3台が動かなくなり、大急ぎで街中の中古カメラ屋に飛び込んだ。香港でわざわざ新品のMade in Japanを買う気にもなれず間に合わせに中古を探すことにしたが、さすが日本ブランドは強くかなりヘタった物でもヨドバシの新品価格並で呆れてしまった。現金も大して持っていなかったし、怪しげ中古屋ではカードなど使えないのでこの際と思って一番安いレンズ2本付き一眼レフ・Made in Chinaをさらに値切って買い込んだ。キラキラ輝くシルバーボディ・妖しげに光るコーティングレンズ、どこから見ても生粋のM/in/Cだった。残り2日の撮影で妖しげカメラは順調にシャッター音を放っていたが、帰る前夜、台風襲来の街中でカーブを曲がって来た2階建てバスが水溜りを思いっきり撥ねて突進。構えていたカメラは敢え無く撃沈、無骨に響くシャッター音は僅か1日で聴けなくなった。その後のカメラ・全メーカ制覇は、この時がきっかけだったのかもしれない・・・・・・